9ジラジ平和企画 桑原千代子さん

今年、被爆70年の広島。
9ジラジでは、月に1回、
9ジラーと一緒に平和について考える時間を作っています。
今夜は、13歳・中学2年生の時、
爆心地から800mの雑魚場町(ざこば)、今の国泰寺町で被爆された
桑原千代子さんにインタビューさせて頂いた様子を聞いてもらいました。
1945年8月6日 8時15分
桑原さんは、爆風で飛ばされて、
気が付いた時には町は、夜よりも真っ暗な状態。
「助けて、助けて」とたくさん叫んだけど、誰も来てくれない。
気を失って、次に気が付いた時にはザワザワと音が聞こえ、
3つの人影が近づいてきたそうです。
その中の1人が、走ってきて「千代ちゃん、あんた生きとったん」
友達でした。
その時に、初めて涙が出たそうです。
桑原さんもお友達も、ひどく被爆している状態。
でもなぜか、桑原さんは「痛くもかゆくもなかったんよね」と。
一生懸命歩いて、歩いて、家がある宇品に帰ったそうです。
今は結婚して2人の娘さんに恵まれて、お孫さんもいて、とても幸せです。
と桑原さん。
語り部を始めて30年以上。
被爆体験を語ることは、嫌だったという桑原さんを変えたのは、
何十年も前、小学生だった娘さんと同じ児童館にいた男の子のキラキラした瞳。
この子たちが大人になった時に戦争になったらいやだ。
この子たちの綺麗な瞳をくもらせてはいけん。
被爆者として私に何ができるだろうか・・・・
伝えることだ。
そう決心したそうです。
被爆体験の講話会を締めくくる時に毎回桑原さんが伝えることば。
「戦争は人が起こすけれど、その戦争を止めさせることができるのも私たち人間。
平和っていうのは歩いても来ないし、先生からももらえない。
親からももらうものじゃない。自分の手でつかみ取って作り上げてください。
でも難しいですよね。
あなたたちにできることは、友達を大切にしてください。
思いやりの気持ちをもってください。
人が苦しんでいたら助けてあげてください。
人の痛みがわかる、すばらしい心の広い人になってください。」
そう締めくくるそうです。
桑原さんは、だんなさんや娘さんたち家族の支えや協力があって
語り部ができているんですと教えくれました。
そして、
「しゃべれるうちは、ずっと語り部、続けるけんね」
と笑顔で話してくれました。
今の10代9ジラーが、被爆された方から直接、被爆体験を聞ける最後の世代です。
今日の放送で、何か感じてくれていたら嬉しいです。
kuwabarasan.JPG
写真:桑原さんとだんなさん。
収録中だんなさんは桑原さんの隣で、ずっと見守ってくださっていました。
桑原さん、だんなさん、心からありがとうございました。