今週の9ジラジは「平和特集」として
広島生まれのアシスタントDJが
それぞれの「ふるさと」をテーマに8月6日について
取材をした様子をお届けしています。
水曜日は東広島生まれのやまモンこと山本将輝が担当。
やまモンは東広島に住む高橋繁子さんから
戦時中の東広島についてのお話しを伺いました。
高橋さんは10代のころ、
今の賀茂高校の前身となる賀茂高等女学校に通われていました。
1年生のころは普通に授業があって英語も学んでいたそうです。
文化祭では演劇で主役を演じられ、クラスの人気者!
2年生になってからは戦争が色濃くなり、
学校は被服廠になって校内にミシンが設置され、
毎日のように兵隊さんの服を作ったり
他には勤労奉仕で男手の足りないところへ
田植えや稲刈りのお手伝いにも駆り出されたそうです。
自由な時間はなく、唯一、空襲警報のときだけは
避難のために学校外へ出ることができたそうです。
賀茂高等女学校の制服はセーラー服で地元の子どもたちの
憧れの制服だったそうですが、
制服を着て登校していたのは僅かな期間だけでした。
東広島の西条と言えば「酒蔵」が有名ですが、
当時は戦争中だったこともあり今ほどの規模ではなかったと
お話してくださいました。
そして8月6日に原子爆弾が投下されました。
その時高橋さんは登校中だったので東広島にいたのですが
東広島からでもきのこ雲は見えたし、光も見えたそうです。
しかしそれが原子爆弾だと知るのは何年も先のことになります。
原子爆弾投下の11日後、賀茂高等女学校の生徒さんは救援活動を行うため
広島市内へ向かうことになります。
ただ高橋さんはお兄さんが被爆して亡くなり、
お葬式のため活動には参加されませんでした。
「もう1週間早く戦争が終わっていれば
爆弾が落とされることはなかったのに・・・」と
高橋さんは語ってくださいました。
救援活動ではごはんの配膳をしたり、包帯を巻いたりと市内の至るところで
活動をされましたが、子どもだったこともあり、
手伝えることは少なかったそうです。
その後、終戦を迎え授業も始まり徐々に日常を取り戻していかれました。
東京へ戻ったという高橋さんの友人は
「被爆した」ということを口にすることができなかったそうです。
当時は「被爆した」という事実を知られると「傷がつく」と扱われ
嫁ぐことが難しくなるためです。
終戦を迎えても戦争は終わってないと感じさせられる事実でした。
高橋さん自身は兄を亡くし女性だけの家族になってしまいました。
今だとあまり問題はないように感じますが、
当時は力仕事も多く「女性だけ」というのはすごく苦労があったそうです。
今のように不自由のない生活は夢のまた夢、とおっしゃっていました。
高橋さんは当時の体験を記録に残すため、
「姫さゆり」という手記を同年代のみなさまと制作されました。
原爆から50年間、当時の話を語ることはなかったそうですが、
「貴重な体験だから後世に残すべき」と考え、制作に踏み切られたそうです。
最後に高橋さんは
「若い世代の方には今の時代にふさわしくがんばってほしい。
未来に向かって進んでほしい」とメッセージをくださいました。
お話を通じて「今の生活は当たり前ではない」と
改めて考え直すことができました。
若い我々にできることは一体何なのかしっかりと考えていきたいと思います!
貴重なお話をしていただき、本当にありがとうございました!
またおいしいお土産を持って遊びに行かせていただきます!!
9ジラジ平和特集 東広島在住 高橋繁子さん
2019年8月7日 9:50 PM
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