広島の様々な分野のトップ、V.I.Pの方々に
毎月お一人ずつお話を伺っていきます。
8月にご紹介するのは、1940年のお生まれ、
竹鶴酒蔵株式会社 代表取締役 竹鶴壽夫さんです。
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1733年、江戸時代から歴史のある蔵元、竹鶴酒蔵。
第2週は「日本のウィスキーの父、竹鶴政孝さん」についてお届けします。
竹原生まれ、ニッカウヰスキーの創業者である、竹鶴政孝さん。
竹鶴壽夫さんとは、お父様の二従兄弟という関係でいらっしゃいます。
なぜ、竹鶴政孝さんが一生懸命、本物のウヰスキーを作ろうとしていたのか。
それは「政孝さんのお父様が、お酒造りに苦労していた」ということが、
政孝さんの熱い想いの原点になっているということでした。
政孝さんのお父様が、お酒作りに励んでいた明治時代、
広島のお酒は、外に出て行ったときに、あまり良い評価を受けなかったそうです。
「なんとかして良いお酒を作りたい」
そのような熱い想いを胸に、当時のメンバーが研究を重ねていった末、
ある結論にたどり着きます。
それは、「水が、お酒の善し悪しを決定する」という事実でした。
その後、メンバーの1人である三浦千三郎さんが、
「軟水醸造」という醸造法を開発。
広島の日本酒造りの基礎を築いたと言われています。
次第に、その醸造法で造り出されたお酒は、
全国の品評会で認められていくことになります。
そのような政孝さんのお父様が辿った長い道のりを
間近で見ていた竹鶴政孝さん。
政孝さんは、竹鶴壽夫さんに、
常に「本物を作れ」とお話していたということです。
今もなお、竹鶴酒造のお酒が本物にこだわるのは、
そのような竹鶴政孝さんの熱い想いが、原点になっていると、
竹鶴壽夫さんはお話しくださいました。
第2週は「日本のウィスキーの父、竹鶴政孝さん」について
送りしました。