9月17日 ヒロシマピースボランティア 大西知子さん

9月17日大西知子さん.jpg
これまで様々な形でボランティアに携われてきた大西知子さん。
言うなれば「ボランティア研究家」といったところでしょうか。
旧姓柏原知子さん。この名前を聞いて「ハッ」とされる方もいらっしゃることでしょう。「阪神・淡路大震災」の際、広島からひまわりの種と、もみじまんじゅうを被災者の皆さんに配られ励まされた人です。
仮設住宅でバザーを行なわれたり、被災者の方々を広島へ招かれたりとその勢力的な活動振りには目を見張るものがありました。
そんな大西さんの深いボランティア精神はどのように芽ばえたものなのでしょうか?幼いころから面倒見の良い子で、10代になると人の役に立ちたいと考えられ、20代では国際ボランティア活動に積極的に参加されました。心から湧き出てくる自然な思いによるものだったのかもしれません。
そんな大西さんは、これまでの経験を元に「ヒロシマを伝えたい」という大きな課題を掲げられ「ヒロシマピースボランティア」に応募されたのが1999年。第一期生としての活動開始でした。広島平和祈念資料館を訪れる多くの人、子ども達へ平和尊さを伝え平和のバトンをつないでいかなければならないと大西さんの活動にも力が入ります。
中でも、広島原爆被災カメラマン松重美人さんが写された1945年8月6日当日の一枚の写真を表紙にした著書「なみだのファインダー」には地道な取材の中で知った事実と大西さんの思いが詰め込まれています。
年内にはその一枚の写真に写っている一人の女性被爆者の人生、生活史を綴った「命かがやいて」が被爆本第2弾として出版される予定です。
常に自分にできることは何か・・・を問われ目標達成のために努力される大西さん。活動内容以上にその姿こそが大勢の人に生きるエネルギーを与えているのかもしれません。